49歳で会社を早期退職。働くのは3時間の隠居生活を過ごしてます。

”ドリフト走行”で帰っていた理由【差し迫ってたこと】

  
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”ドリフト走行”で帰っていた理由【差し迫ってたこと】

ここでのテーマは、”ドリフト走行”で帰っていた理由です。
結論というかお伝えしたいことは、頑張ってた感は確かにあった、です。

 

 

わたしは毎回見てるネット番組があり、こちらです。
※前回のテーマは「コンサルの裏側」。

コンサルは激務で、1週間に合計10時間しか寝なかったこともある、という話を披露されました。
それで思い出したのはわたしも20代、会社入ったばかりの頃。
当時は、バブル期。「24時間戦えますか」というリゲインのCMに象徴される時代でした。

とはいえ、何と戦っていたかは不明。
でも、残業は多かったです。
だいたい仕事が終わるのが毎日、深夜12時頃でした。

当時、車通勤で、わたしは「車を運転すると人が変わる」と言われましたが、ほんとうは、一刻も早く寝たかっただけでした。
それで、タイヤを擦りながら”ドリフト走行”で猛スピードで帰ってました。
※危険走行と見なされ、白バイに追いかけられたこともありました。

 

今は昔。先日、ひろゆきさんの新刊を読んでいたら、”時代は変わり時間をかけた分だけ成果がでることはなくなった。バブル期であればそうだったかも知れなかったけど”というくだりがありました。前時代的な価値観による働き方、と。

ひろゆきさんらしい忖度のない、ストレートな物言いが心地よく読めました。
わたしも、今は、ひろゆきさんが提唱されるなるべく働かないで成果(収入)を得るスタイルを志向してます。
共感が得られる本でした。

 

ということで、ここのテーマでのお話は以上です。

P.S.

また昔話に戻り、当時、帰り道にポプラというコンビニがありました。
そこの弁当はご飯が入っていなくて、買うとご飯をレジ横の業務用炊飯器からよそってくれました。

店員さんがいつも大盛りにしてくれて、そのサービスが心にしみました。
※深夜でご飯が余っていたという説もありますが。

ちなみに、毎日一択で塩サバ弁当。
ポプラ - サバ塩焼き弁当 ご飯大盛り 420円( '15.09)

加えて、深夜の寝る前に食べる不健康さよ(詠嘆)
体内も若かったことを思います。

 

それでは。お付き合いいただき、ありがとうございました。