ささやかだけど幸せなこと
ここでのテーマは、隠居生活の実際です。
結論というかお伝えしたいことは、ささやかだけど、幸せなことがある、です。
これまで触れたことがありませんでしたが、いま、私のそばには14歳の老犬がいます。
若いときは、とても活発でしたが年を取って、すっかり寝ている時間が多くなり、いまでは昼夜をとわず、ほとんど寝てます。それでも、毎日16時過ぎになると、むっくりと起きだし、散歩に連れて行ってくれ、と吠えます。
そして、散歩に連れ出すのが今の日課の一つです。
ただ、これも、犬の寿命の関係で、あと何年、続けられるかは分からず、一緒に過ごせる時間を大事にしようと思いながら、これをささやかだけど幸せなことと感じています。
何に対して、幸せを感じられるかは人それぞれといわれますね。人によっては不幸なことも幸せに感じられたり、その逆もあったり。
私の好きな「されどわれらが日々」という小説で、
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こんな一節があります。(長くなりますが、引用します。)
「ぼくは思うんだけど、幸福には幾種類かあるんで、人間はそこから自分の身に合った幸福を選ばなければいけない。
間違った幸福をつかむと、それは手の中で忽ち不幸に変ってしまう。いや、もっと正確に言うと、不幸が幾種類かあるんだね、きっと。
そして、人間はそこから自分の身に合った不幸を選ばなければいけないのだよ。本当に身に合った不幸を選べば、それはあまりによく身によりそい、なれ親しんでくるので、しまいには、幸福と見分けがつかなくなるんだよ」
とても平たくいうと、”幸せは気の持ちよう”ということです。(身もふたもないくらいに、平たくしましたが。)
ということで、ここのテーマでのお話は以上です。
それでは。お付き合いいただきありがとうございました。