「何のために生きてるのやら」【流されて生きる】
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「何のために生きてるのやら」【流されて生きる】
ここでのテーマは「何のために生きてるのやら」です。
結論というかお伝えしたいことは、流されて生きる、です。
母親の認知症の話です。少しずつ進行してます。先日、大きなことがありました。コロナワクチンの4回目を打ったことを忘れ、翌日、また打ちに行こうとしました。
母親の中では、ワクチンは重要事項で、打ったことを忘れたのはかなりショックのようでした。そして、その日の夕飯にて件名のセリフです。
わたしは自分を振り返るとそんなふうには考えたことないです。何でか?思い至ったのは、毎日新しいことを得てるから。
例えば、わたしは、できるだけ、1日1冊、本を読むことにしてます。それで、日々、自分が豊かになってる感覚があります。
※今、ちょうど200冊読みました。今年は340冊ペースです。
ただ一方で、認知症は、その点、失われるばかりの感覚かもしれません。その恐怖は測り知れない、というか、根本的には分からないです。
わたしは、もともと会話でのリアクションが薄いです。そんななか、母親の話は何度も聞いた話ばかり。
最近は、嫌になって完全にノーリアクションを決め込んでました。いかんですね。気持ちに寄り添わないといかんです。そんなことを改めて思いました。
いうことで、ここのテーマでのお話は以上です。
P.S.
「何のために生きてるのやら」について、ひろゆきさんの見解です。今月発刊の本(『人生が好転する100の言葉』)によると「そんなふうに考えなくて良い」「動物を見なさい、考えてないから」。振り切ってます・笑。
最近、よく聞く生き方で、”流されて生きる”というのがあります。ひろゆきさんもそうしてる、と言われてます。そして秋元康さんも堀江貴文さんも異口同音にそういわれてました。
秋元康さんがそうしてるのは時流にも合ってるということかもですね。堀江さんは「自分が流されながらも、流れてくる”桃”を待ってる」と。
この話は、”桃太郎はおばあさんが凄かった”に発展します。なぜなら、おばあさんがそんな怪しい桃を拾わなかったら物語は始まらなかった、と。
オチは、おばあさんのように、情報の取捨選択力が大事、となります。くわしくは、こちらの本(『情報だけ武器にしろ』)に書いてあります。ご興味ありましたら読んでみてください。
それでは。お付き合いいただき、ありがとうございました。
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