もう一度会いたい人【わたしの場合は犬です】
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もう一度会いたい人【わたしの場合は犬です】
ここでのテーマは、もう一度会いたい人、です。
結論というかお伝えしたいことは、わたしの場合は犬です。
先日4月10日は父の7回忌でした。近所の納骨堂に出かけました。ちなみに、うちは、お墓はすでに処分してます。納骨堂だけです。
それで、もうだいぶ年月過ぎたものの、父を偲ぶということでいえば、思い出すのは、父の死は、見送る側の振舞いを正す機会になったこと。
どういうことかというと、わたしはそれまでは近しい人の死に直面すると、1分1秒でも長く生きて、と願うものと思ってました。
でも、父は末期がん。最後はすごく苦しんだので、逆でした。ただ、早く安らかにと願いました。これは、実際に、向き合ってわかったリアルでした。
先日、辻村深月さんの『ツナグ』という小説を改めて読んでました。
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一度だけ、一人だけ死んだ人と会わせてくれる仲介人の話です。そして、小泉今日子さんがこの本の書評で書いていたことを思い出しました。
「自分だったら亡くなった人と会いたいとは思わない」「なぜなら、亡くなった人への思いは、亡くなってから別の時間で深まっていくものだから」と。
けれども、一方で「永眠したペットには 会いたい」と書かれていました。これ、最初から最後までわたしもまったく同じように思いました。
わたしも、2016年、2017年に二匹の飼い犬を見送りました。でも、もう5、6年経っているのに、いまだに1週間に1度は夢に見ます。「ああ、まだ生きてたんだ、よかった」と思ったら、目がさめます。
わたしは、まだ幸いに自分自身に、死を予感させるような不調は心身共にないですが、飼い犬と再会できるなら、死はそんなに怖いものでもない、今は、そんな見方です。
ということで、ここのテーマでのお話は以上です。
P.S.
話は変わり、先日、糸井重里さんの『ほぼ日の学校』の会員になりました。
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※月額680円。初月は無料です。
たくさんの人との対談がコンテンツになってます。暇に任せて、次々、見てますが、まさに人の数だけ人生がある、という感じで、面白いです。
それでは。お付き合いいただき、ありがとうございました。
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