”ドリフト走行”で帰っていた理由【差し迫ってたこと】
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”ドリフト走行”で帰っていた理由【差し迫ってたこと】
ここでのテーマは、”ドリフト走行”で帰っていた理由です。
結論というかお伝えしたいことは、頑張ってた感は確かにあった、です。
わたしは毎回見てるネット番組があり、こちらです。
※前回のテーマは「コンサルの裏側」。
コンサルは激務で、1週間に合計10時間しか寝なかったこともある、という話を披露されました。
それで思い出したのはわたしも20代、会社入ったばかりの頃。
当時は、バブル期。「24時間戦えますか」というリゲインのCMに象徴される時代でした。
とはいえ、何と戦っていたかは不明。
でも、残業は多かったです。
だいたい仕事が終わるのが毎日、深夜12時頃でした。
当時、車通勤で、わたしは「車を運転すると人が変わる」と言われましたが、ほんとうは、一刻も早く寝たかっただけでした。
それで、タイヤを擦りながら”ドリフト走行”で猛スピードで帰ってました。
※危険走行と見なされ、白バイに追いかけられたこともありました。
今は昔。先日、ひろゆきさんの新刊を読んでいたら、”時代は変わり時間をかけた分だけ成果がでることはなくなった。バブル期であればそうだったかも知れなかったけど”というくだりがありました。前時代的な価値観による働き方、と。
ひろゆきさんらしい忖度のない、ストレートな物言いが心地よく読めました。
わたしも、今は、ひろゆきさんが提唱されるなるべく働かないで成果(収入)を得るスタイルを志向してます。
共感が得られる本でした。
ということで、ここのテーマでのお話は以上です。
P.S.
また昔話に戻り、当時、帰り道にポプラというコンビニがありました。
そこの弁当はご飯が入っていなくて、買うとご飯をレジ横の業務用炊飯器からよそってくれました。
店員さんがいつも大盛りにしてくれて、そのサービスが心にしみました。
※深夜でご飯が余っていたという説もありますが。
ちなみに、毎日一択で塩サバ弁当。
加えて、深夜の寝る前に食べる不健康さよ(詠嘆)
体内も若かったことを思います。
それでは。お付き合いいただき、ありがとうございました。