50代、この先、生きてて良いことあるのか?【ありますよ】
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50代、この先、生きてて良いことあるのか?【ありますよ】
ここでのテーマは、50代、この先、生きてて良いことあるのか?です。
結論というかお伝えしたいことは、ありますよ、です。
50代といえば気力・体力のピークを過ぎて久しいです。
この先も、衰える一方。
生きててよいことあるのか?
そんなふうに思うこともあるかもです。
でも、世の中には長く生きてきたことが糧になることがあります。
先日、読んだ村上さんの俳句の本(『フルーツポンチ村上健志の俳句修行』)で驚いたことがありました。
それは、俳句やってる人のボリュームゾーンは70代であること。
50代なんて、最若手。”洟垂れ小僧”といえます。
そして、俳句は、人生経験が長い分、深く理解ができる、と思わされました。
自分の人生なんて、別段、他人と代わり映えも無い、
さして自慢できることも無い、
何ていうこともない半生だった、
そう思われるかもしれませんが、でも、50年生きたら誰しもが本を書ける、という言葉もあります。
わたしも存在感の無いキャラで、至って地味な半生でした。
でも、例えば、20代に見たり読んだり映画や本が、50代ではまるで受け止め方が違うことが普通にあります。
それは人生経験のせいであることが間違いないです。
なので、50代、この先、生きててよいことあるのか?については、悲観するものでもない、年齢を重ねるのも悪いばかりではない、
そう思います。
ということで、ここのテーマでのお話は以上です。
P.S.
同じような話で、能を大成させた世阿弥のかの有名な『風姿花伝』では「時分の花」と「まことの花」という言葉が出てきます。
「時分の花」というのは若い生命が持つ、鮮やかだけれども一過性の花。
「まことの花」というのは自分という木が枯れても咲き続ける本質的な花。
その時限りの「時分の花」を「まことの花」と思いこまず、常に初心を忘れず精進すべし、という内容です。
年齢に応じた能役者の説明の中で、50歳を超えた能役者にはその人の本質とか個性の次元で最後の花が残る。
それが「まことの花」というものと重ねて、表現されています。
ご興味ありましたら読んでみてください。
↓↓↓
『風姿花伝』
P.P.S.
話は戻り、村上さんの本の中身は全国の句会に参加した実践記です。
句会ってハードル高いかもと思われるかもですが、そこは、ネット社会。
村上さんの俳句チャンネルでのライブに参加するとかであればハードル低いです。
↓↓↓
わたしもそのあたりから始めることにします。
この機会に、70代になっても続けられる趣味が新たに持てればと思いました。
それでは。お付き合いいただき、ありがとうございました。
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